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michi suwa

タイトルなし

昨日はやっぱりとてもいい天気で、祝日の朝、空いた電車の中、なんとなく海を背にして座ったら、山手と石川町の間で一瞬大きく富士山が見えた。石川町から関内の間も気をつけて見ていたけど、見えなかった。何度も乗っているはずの電車で初めてのことだった。

そして、帰宅後に突然ツイッターに入ってきたニュースに、ただただ驚き、ぐるぐると考えていた。

今日は、怒りが湧いている。件の人への怒りとは違う。係争中の件はきちんと事実関係が明らかにされない限りは、擁護も批判も出来ないはず。

ただ、今改めて思うこともある。学生と日々接して思うこと。誰かを責めたい訳では無いし、当然、自戒も込めて。

ずっとそうだ。大学という場所では殊に、女子学生として振る舞うことを暗黙のうちに見えない圧で求められる。気に入られるという言葉、発想の気持ち悪さよ。女子学生であるだけで、その対象に合致するか否かという篩にかけられる。教員と学生という関係に限らず、サークルのような場でも、学外でも、展覧会場で、酒の席ではとても露骨に女子学生らしさは試される。しょうもない下ネタ、笑えない冗談、外見を値踏みされて、笑っていなす。社会に出ても、それは変わるどころか酷くなる。最近は都合よく女性の視点だとか言って持ち上げて一層孤立させる。

かつて女子学生だった人は多分皆怒っている。私などよりずっと酷い目にあった人はたくさん居る。視点を変えれば女子に限ったことでも無いでしょう。永遠にとけない呪いのようにすっかり内面化され、普段は気にかけずにいられるかもしれない。だとしても、ずーっと怒りで身は焼かれ続けてる。今になってもう我慢しなくていいと言われても、火傷の跡を呆然と眺める以外に何ができるの。言えるのは、それでも踏ん張って生きてますってだけ。

今学生のみんな、若いみんなが、同じ呪いにかからない事を願って止まない。教員であれ、先輩であれ、上司であれ、友人であれ、恋人であれ、尊敬や畏れの気持ちに嘘が無いとしても、相手が勝手に求める役を負う必要は無い。黙ってその場を立ち去っていい。気持ち悪いと吐き捨ててもいい。