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michi suwa

出校日

晴。

気持ちの良い天気だが、頭痛。出校日なので、5時起床。弁当作りと朝食を済ませて、片付けていると、夫と息子が起きて降りてきた。息子はやけに素直で機嫌がいい。身仕度をしている間もずっと足にくっついてにっこり笑って私の顔を覗き込んだりしていた。息子なりに先週とは作戦を変えて、仕事に行く私を引き止めようとしているのは分かった。いざ出かけようとすると泣いてしがみつく。泣く息子を夫に託して家を出た。

大学に行くバスに乗る学生の列は1週間ごとにだんだん短くなっている。まわりの木々は先週よりも少し葉の色が濃くなり、葉の密度が上がっていた。八重の葉桜が満開だった。午前、午後とアトリエを廻って、学生と話す。大学に入ってまだ日の浅い1年生と話すのは難しい。

10数年前、私もこのあたりにかなり長い間いたはずだが、当時は大学の周囲の地理にほとんど興味が向かなかった。駅と大学の間を行き来できれば事足りたのだろう。今はそれがとても勿体無いことのように感じる。のっぺりと平らで荒涼としたただただ広い場所について、今はもう少し、知りたいと思う。海に向いているか背を向けているかという基準がない場所で何を頼りに考えられるかしら。毎度、少しずつ広げていこう。

 家に戻ると、息子は寝起きで機嫌が悪い。しばらく続いたが、夕飯を食べているうちに上機嫌に。風呂に入って絵本を読んで、21時すぎに就寝。

タイトルなし

曇。

昨日よりもさらに寒い。真冬の格好で出かけたい寒さだ。息子を送って、買い物を済ませて家に戻って、家事を片付けてから、お迎えの時間まで本を読んだ。

迎えに行くと、息子は自分のリュックを背負って、笑顔で帰ってきた。手には緑の小さな実を握っている。今日は園舎まで行って帰ってきたようだ。息子たちのペースだと、集合場所の公園から園舎までの2キロ弱も1時間はかかるだろう。1年を通して、子どもたちが成長するにつれ時間は短くなっていく。息子はまだまだマイペース。1年後、今の息子と同じようにマイペースに歩く下級生と、今度はその子のペースに合わせて歩くようになるのだろう。

おかえりなさい。

解散した後も、そのまま他の子たちと遊んでいた。4時近くになって、帰る頃には疲れと眠たさとまだ遊びたいので泣き出した。家に着いてからも、幼稚園の公園に戻りたいと言って泣き続けた。抱っこして家の中に入ると、そのまま寝てしまった。目を覚ましてからも、幼稚園に戻ると言って泣く。30分ほど泣き続け、ようやく抱っこさせてくれるくらいまで落ち着いた。抱っこして幼稚園でのことを聞いていると泣き止んだ。幼稚園が楽しいのは何よりだが、もうすぐ連休で1週間以上休みになる。連休中も農作業ついでに園舎に連れて行こう。

21時半就寝。

タイトルなし

曇。

最近、夢見が悪い。大学に行き始めたからだろうか。夢に登場するのは未熟で恥ずかしい20代の頃に会った人ばかり。けれど、仲の良かった友人ではない。あまり言葉も交わしたことがなく、私に対して表情を緩めることがなかった人。そういう人の鋭い眼差しが夢に出てくる。具体的な状況は目覚めてしまうと思い出せないが、見透かされるような眼差しにうろたえる感じだけは残っている。今日も、疲れた案山子のような情けない気分で朝を迎えた。

空は暗く、風が強い。昨日までと同じ格好では風邪をひきそうだ。息子と幼稚園の集合場所に行くと、いつもと様子が違う。揃いのシャツを着た大人数名と、4〜50組の親子が集まっている。近くのキリスト教系の幼稚園の親睦会なのだそう。公園の中央で整列した親子を前に、園長らしき中年の男性がマイクを持って祈りの言葉を述べて、その後、皆で賛美歌を歌っていた。区内の幼稚園のほとんどがキリスト教系であることを考えると、これが大方の幼稚園児にとっては日常の光景なのだろうが、やはり面食らってしまった。息子たちの一団は公園でのウォームアップは出来ないので、すぐに移動開始。今日は何処まで歩くのだろう。行ってらっしゃい。

家に戻って、洗濯と掃除、後回しにしていた諸々を片付けてから、外に出て野菜の苗を植えた。ゴーヤー2種とオクラ2種とアイスプラント。去年までは地植えだったため、放っておいても夏野菜が収穫出来ないということはなかった。鉢植えでどの程度育つだろう。

息子はお迎えの帰りの自転車で寝てしまった。

タイトルなし

晴。

風が強い。

息子は嫌がることなく幼稚園へ。朝のランニングは先生と手を繋いで走りたいという。あとを先生にお願いして、見送り完了。笑顔で走っている息子を横目で見ながら急いで家に戻った。夫がまだ家にいた。家事を片付けながら、さっきの息子の様子やニュースで騒がれている事態について少し話して夫を見送る。すぐに自分も支度をして家を出た。

イヤな空気だ。その空気が濃く、露骨に。テレビはワイドショーのレベルで煽っているのだろう。見ずとも、その醜悪さは容易に想像がつく。じゃあどうするの、対案は?という問いの答えに窮する状況をあらゆる場所に潜ませて「この道しかない」を刷り込んでいく。結果的に何を肥やしているのかを考えさせない。展開があまりに順調すぎて、目眩を覚える。生活の場で、すぐ隣でこの空気を感じるのはとてもイヤなことだ。かと言って、疑心暗鬼になるようなことは相手の思うツボ。そこはもっと賢くならなければ。子どもたちには、それでも世界は豊かで優しいと感じてほしい。踏ん張れ良心。

今日はリウマチ科の受診日。やはり、今使っている生物学的製剤は限界のようだ。もう2本打ってみて、一週あけてから別の薬に切り替えるとのこと。次の受診は3週間後。

薬を薬局で受け取ってから急いでお迎えに。ちょうど子どもたちの姿が遠くに見え始めたところだった。息子は帰ってくると、何か食べたいと言い、私が食べ損ねた昼食用に買ったおにぎりをペロッと食べてしまった。帰っておやつも食べたいと言うので、まっすぐ家に帰る。今日の息子はとても落ち着いていた。ただ、寝る前に眠たさとまだ遊びたいとで大泣き。20時就寝。

晴。

朝起きると、今日もまた手が酷く腫れている。足首から先も固まっている。息子はまだ寝ていたので、そっと布団を出て下に降りた。弁当と朝食を作っている間に息子と夫が起きてきた。昨日の疲れもあるのだろう、あまり食欲がない息子。幼稚園の集合場所に行って送り出す時も私の手を離さない。何とか先生に引き渡して、今日は長居しない方が良さそうなので、すぐに家に戻った。

家で朝のバタバタの跡を片付けて、自転車で幼稚園の園舎に向かう。子どもたちは基本的には公園で活動するので、午前中は特に誰も使っていない園舎。敷地には古い外人ハウスが3棟建っていて、そのうち2棟を園舎として使っている。戦後の米軍接収当時、ここはフェンスの中ではなかった様だが、間取りを見る限り単身者向けに作られた米軍住宅だったのだろう。同級生のお母さんたちと園舎のまわりの畑で作業。ニワトリ2羽は今日も掘り返される土の中の虫を狙っている。今日は畑に堆肥を混ぜつつ、作業のための道を作った。花が咲きかけている春菊と、池の中のセリが今日のお土産。手の腫れと痛みはまだ引かないので、出来る作業を休み休み進めた。それでも、無心で土を触っていると、不思議なほど気持ちが安らぐ。柔らかくて温かい土の側から離れたくなくなる。正午まで作業をして、一度家に戻り、お迎えの時間まで少し横になった。

迎えに行くと、すでに子どもたちは戻ってきていて、木陰に座って先生が読んでいる絵本を見ている。絵本が読み終わると子どもたちはそれぞれの親のところへ。息子を自転車に乗せて、スーパーへ寄ってから家に帰った。家に着いてからも、息子はなかなか中に入ろうとしない。しばらく、そのまま外で花の手入れをしたり園舎の畑で収穫した野菜を洗ったりしていた。ようやく家に入った息子は、おやつのアイスを食べてから、ピノキオのDVDを見ていると途中で眠ってしまった。

 

野島

晴。

実家で目覚めた息子は、ばあばんちだねと言ってにっこり笑って起き上がった。

朝食を食べて、息子と実家を出て野島公園へ。友達3家族とバーベキューをする。と言っても、料理は得意なお父さんに用意してもらって、食べるばかりのバーベキューだ。子どももある程度放っておけるようになって、遊んでくれるお父さんもいる。という訳で、外で美味しい料理を食べて、お母さん同士で喋るという会だった。天気も良く、海風が心地よい。申し訳ない程に極楽。ありがとうございました。

野島は、子どもの頃の思い出が濃くある場所だ。毎年、8月の終わりの夏休みももうあと何日かという頃に花火大会がある。父に肩車をされて夜の海沿いの道から見た花火、浴衣を着て友達と自転車で走りながら見た花火、生暖かい潮と火薬と汗の混ざった匂いが微かに蘇る。突然カヌーを始めたいと言った父が、私を連れてカヌーの体験に来たのもこの海だ。その後、父のカヌー熱は増水した川に流されて死ぬまで冷めることはなかった。

今年は、息子とこの海で潮干狩りでもしてみよう。

実家

晴。

ゆっくり起きて朝食。夫も昼まで家にいるというので、家の中を片付けたり、溜まっていた資源ごみを出したり、チューリップの鉢を植え替えるために土を出したりして過ごした。

昼食を食べて、夫を見送った後、3時頃、私の実家に行くために出かけた。電車を2つ乗り継いで、最寄りの駅からバスに乗って実家へ到着。明日の移動距離を短くするためと、たまに帰る弟に会うため。それから、先日死んだ猫の遺影に手を合わせるため。息子はたまのお泊まりが嬉しくて仕方ないようだった。

実家を出て暮し始めてから17年は経つだろうか。町の境の、登ると崖にぶつかる坂の途中に実家は建っている。山の斜面にマンションも戸建もアパートも混在して貼り付いている。子どもの頃は恐ろしく感じていた大きな屋敷や工場、人の気配のない古いアパートやトタン屋根の平屋が並んでいた場所も、今では淡い色のサイディングの平らな顔の家に建て替わっている。近くにある見えない場所、ひとりでは決して入って行けない何かが棲む闇。そういう闇が取り払われた跡が来るたびに増えていく。

今回は、実家の裏の小径を挟んだ場所に建っていた木造の大きな屋敷が、取り壊され更地になっていた。屋敷の主人はどこかのマンションで孫と暮らしているのだという。私が子どもの頃、ここもまた恐ろしさを感じる場所だった。屋敷の入り口には竹を縦に隙間なく並べた柵があり、その奥の庭の木々の間から古い引き戸の玄関が僅かに見えていた。坂に面したコンクリートの高い塀と家の間には犬小屋があり、錆茶色の大きな犬が繋がれていた。普段は犬小屋も犬も見えないが、他の犬が家の前を通ると、飛び跳ねて顔と前脚をぴょこぴょこ出して、大きな威嚇する鳴き声をあげていた。雨が降ると竹の柵にはカタツムリが、コンクリート塀にはナメクジがたくさん付いていた。私は屋敷の主人や犬に気付かれないように、カタツムリをとったり、ナメクジに塩をかけて遊んでいた。見えない主人や犬のすぐ側で、息を殺して遊ぶことが、とにかく楽しかったのを覚えている。

この場所にも、建売の新築が4軒、同じ顔をして建つらしい。