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michi suwa

タイトルなし

晴。

先週梅雨入りして、久しぶりの晴れ。関節に溜まった水が燃えているよう。また一週間外出せずに過ぎてしまった。見たい展覧会の再開の知らせに焦る。息子の小学校は、今日から一斉登校だ。8時に行って12時に帰ってくる。その間に制作したり本を読んだりというのが暫く生活パターンになる。

コロナパニックは一体何だったのかというフェーズに移行する中で、自分のこの数ヶ月を考える。里山遊びと近所の散歩以外、息子とひたすら家にいた。息子と外に出るのは感染云々ではなく人の目がストレスで避けてきた。あとは家にいる時間の長さに比例して、歩く事が難しくなった。只々そういう時間だった。周囲も同じ様に止まっている時間は、濁った安心感を与えていた。ウイルスではなく止まった時間に殺されていくあらゆる物が累々と積み上がっていく中での、濁った安心感。その安心感を覚えながら家にいる事が、自己決定としてその時間を肯定する事になることへの嫌悪、苛立ち。

今ようやく周囲が動き始めて、落ち着いて振り返られるようになった。

リスクをゼロにしようとした時に起こる思考停止。空気による強要。近付かないと決めてしまった時に生まれる区別と差別。。。に抗わないと。分かっていた筈が、濁ったぬるま湯に浸かって、あちこちの言葉に引っ張られるばかりだった。思い知らされた数ヶ月。

 

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