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michi suwa

されど、死ぬのはいつも他人

風邪をひいてしまった。

雨の金曜日、慶應アートセンターの「彼方の男、儚い資料体」を見に行った後、結局お泊まり会は参加しないと決めた息子を園に迎えに行った。冷たい雨の中の下山が、身体にきてしまったらしい。急いで迎えに行ったというのに、息子はもう少し遊びたかったとふてくされていた。

土曜日も降り続ける雨。息子と出かけたかったが、体調も悪いので断念。夕方頃、熱が出てきた。息子は元気、風邪をうつさないようにと別の布団で寝てもらう。

今日、日曜日は幼稚園の同級生家族とバーベキューの予定だった。見かねた夫がかわりに息子と参加してくれた。2人が出かけて静かになったリビングで、まだ読んでいなかった「彼方の男」展のハンドアウトを開いた。そこに、この言葉があった。デュシャンの墓碑銘。不思議なことに、この言葉に遭うのは、今週に入って3度目だ。2度目はノートにメモを残した。全く偶然ではあるけれど、3度目に、このやや格言めいた言葉の先に河原温というしなやかなレイヤーを見ることが出来てよかった。奥村作品もまた、確かならざる者の確かならざる死についての「儚い資料体」として、この言葉に応答するしなやかな在り方そのものだった。

熱はひいてきた。夕飯は、バーベキュー土産のカレーを頂こう。