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michi suwa

トークを終えて

土曜日、アズマテイプロジェクトで行われたトーク、無事終わりました。来て下さった皆さん、呼んでくれた石井くん、ご一緒させて頂いた利部さん、大野さん、プロジェクト主催の東亭さん、ありがとうございました。

登るのか下りるのか、造形すること、時間、それぞれに向かい方が違って面白かった。

トークの後半、社会の中での制作の意味を問われる場面があった。作品を作ることで世界は変えられるか?と。私は変えられるかどうかはわからないが、作品を制作することが可能な世界を守りたいと答えた。そして、社会に適応することが困難な人が誰も殺さず生きられる世界があるとすれば、それは制作を続けることが可能な世界と近いのではと、付け加えた。もっと具体的な答えを期待されたのかもしれないが、そうとしか答えられなかった。

このトークが行われたちょうど同じ頃、どうしようもなく悲しい殺人事件が起こっていた。川崎の事件の余波であることは疑い無い。最も遠ざけなければならない結論を当事者に出させてしまった。自分は必要とされていない生きている意味がないと感じた時、子どもたちの姿や声を恨めしく感じる経験は私にもあるし、そうなってしまった人を間近で見てきた。この結論だけは出させてはいけなかったはず。

トークの次の日は息子の幼稚園のバザーだった。草の上を転げ回るかわいい子どもたち。利部さんの展示はPiazza del Paradiso、天使の歌声が響く天国の広場。いつ何時、自分もどうなるか分からないから、互いの秘めた狂気も当たり前に思える広場。小さな手を握り締めて、狂気を腹にしまって、作る場所。

最後に聞きたいのは、お母さんたちの笑い声。