タイトルなし

晴。

夏のような日差し。

目を覚ますと、夫はすでに出勤して居なかった。息子がトイレと言うギリギリまで布団でダラダラし、朝食後も洗濯と掃除の他は何もせず、息子とテレビを見て過ごした。

昼過ぎにスーパーへ買い出しのために家を出る。坂の下のスーパーへ行くのに息子はバランスバイクに乗って行くと言って聞かない。慎重な息子は坂でスピードを出したりする危険は少ないが、問題は帰りだ。買い物の荷物で私の自転車のカゴがふさがったら、息子のバランスバイクを積んでやることが出来ない。帰りも自分で押して帰ることを約束して出発。スーパーに到着するまでに幼稚園の同級生に立て続けに会った。スーパーでは先生にも。息子はとても嬉しそう。帰り道、案の定、坂の途中で疲れて泣き出した息子。バランスバイクを道に置いて、私の自転車の後ろに乗りたいという。ここはのむわけにはいかない。バランスバイクを置きっぱなしには出来ないと言い聞かせ、バイクを自転車の後ろに乗せ、息子は歩かせた。泣きながら歩く息子と手をつないで、腰と片手で自転車を支えながら歩いた。こうなることは最初から分かっていた。どうするのが良かったのか、答えは出ない。この事態を回避するためなら、出かける時点で力づくでもバランスバイクを置いて来させればいい。でも、そうするのが最善かと問われれば、そうとは言い切れない。

息子との日々はこういう問答の繰り返しだ。

家に着く頃には、息子はいつものように虫や花に立ち止まり、それを楽しんでいるようだった。もう、くどくど言うまい。

こちらが困ってしまう要求に、その選択肢はないのだと強く言って聞かせないと事が先に進まない。そういう場面は日に何度もある。しかし、事実、そうやって追い詰められているのは私自身であり、最も憎むべき手段だということを忘れてはならないと改めて思う。

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