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michi suwa

梅雨

梅雨入り。

朝から晩まで降り続ける雨。

土曜日曜と息子と出かけたからか、身体がなかなか動かない。息子と夫が出かけた後少し休んでから、重い腰を上げて、アトリエ整理。思いの外、順調に片付いた。

息子のお迎えは同級生のお母さんが車を出してくれた。そのまま息子はお風呂と夕飯もいただいてしまった。ありがたい。

寝る前に少し咳をしていた。

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明日は青梅シロップを仕込む。

本江さん

本江邦夫先生の訃報。

色々思い出される。

学部4年生の時、本江先生のゼミをとった。ゼミ生は私を含めて3〜4人だった。大抵は先生の研究室で、ゼミ生が自作について話したり、取り上げたい話題を持ち寄ったりして、色んな話をした。先生とゼミ生と一緒に鎌倉や吉祥寺へ展覧会を見に行ったこともあった。アトリエで制作の手を止められず、ゼミに行かないでいると、先生から電話がかかってきた。だから、あの1年はほぼ毎週先生に会っていたと思う。子どものようなストレートさのある方だったから、誰からも慕われるといった先生像からは遠かったかもしれない。友人に何故あの先生のゼミをとっているのかと問われる事もあった。

先生が私を呼ぶ時、ちょっとふざけたイントネーションで、必ずフルネームで呼んだ。スワミチのワがやたら高い。去年、学内で十数年ぶりにお会いした時も、同じイントネーションでスワミチと呼んだ。

そんな先生は、ゼミの中で私が自作について発表した時、褒めてくださった。作品についての拙い説明を最後まで黙って聞いた後、あなたは既に作家だと言ってくれた。今思うと恥ずかしい酷い質のカラーコピーで作品を見せたのだが、こんなカラーコピーでもただごとではないのは分かると言ってくれた。この言葉がその後何年も私を支えた事は間違いない。

何かのキッカケで、父について先生が知った時、じゃあ褒められない、もっと頑張りなさいとおっしゃった。掌を返して急に褒める人はたくさん会ってきたが、先生は逆だった。それはそれで、ハハハと内心笑ったが、現実は先生のおっしゃった通りだ。

勝手に思い出を書き連ねる失礼を、どうかお許しください。

ご冥福をお祈りします。

 

トークを終えて

土曜日、アズマテイプロジェクトで行われたトーク、無事終わりました。来て下さった皆さん、呼んでくれた石井くん、ご一緒させて頂いた利部さん、大野さん、プロジェクト主催の東亭さん、ありがとうございました。

登るのか下りるのか、造形すること、時間、それぞれに向かい方が違って面白かった。

トークの後半、社会の中での制作の意味を問われる場面があった。作品を作ることで世界は変えられるか?と。私は変えられるかどうかはわからないが、作品を制作することが可能な世界を守りたいと答えた。そして、社会に適応することが困難な人が誰も殺さず生きられる世界があるとすれば、それは制作を続けることが可能な世界と近いのではと、付け加えた。もっと具体的な答えを期待されたのかもしれないが、そうとしか答えられなかった。

このトークが行われたちょうど同じ頃、どうしようもなく悲しい殺人事件が起こっていた。川崎の事件の余波であることは疑い無い。最も遠ざけなければならない結論を当事者に出させてしまった。自分は必要とされていない生きている意味がないと感じた時、子どもたちの姿や声を恨めしく感じる経験は私にもあるし、そうなってしまった人を間近で見てきた。この結論だけは出させてはいけなかったはず。

トークの次の日は息子の幼稚園のバザーだった。草の上を転げ回るかわいい子どもたち。利部さんの展示はPiazza del Paradiso、天使の歌声が響く天国の広場。いつ何時、自分もどうなるか分からないから、互いの秘めた狂気も当たり前に思える広場。小さな手を握り締めて、狂気を腹にしまって、作る場所。

最後に聞きたいのは、お母さんたちの笑い声。

トークのお知らせ

「 壁かけと床置きと 空間 」


利部志穂x大野綾子x諏訪未知
司会:石井琢郎(アズマテイプロジェクト)

 

2019/6/1 土曜日 15:00から

利部志穂展 Piazza del paradiso 展示会場にて
ちょっとお酒も飲みながら、
利部さんと大野さんと制作のこと話します!

 

会場:アズマテイプロジェクト
横浜市中区長者町7丁目112番 伊勢佐木町センタービル3F
* 伊勢佐木町ドン・キホーテの向かいのビル。つけ麺大王の横、緑の階段から

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京都大阪

高槻の病院へ。今回は夫の実家には泊まらず、京都で一泊宿をとった。

京大附属の総合博物館で「タイムラインー時間に触れるためのいくつかの方法」を見た。作品をゆっくり巡ると確かに時間の層に触れる感覚がある。とても博物館らしい方法で導かれるので、自分の制作で感じる時間とは少し違うけれど、新たな光の当て方を見た感じ。

ロームシアターでひと休みと思ったら、ものすごい人。この日はコーラスの大会だったらしく、広場のあちこちで練習するコーラス団の皆さん。天気もいいので、観光の人も蔦屋書店目当ての人もコーラスの人も、犬の散歩に来た人も、一緒くた。休日を満喫していた。

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宿にチェックイン。夫と息子は宿で休み、私だけ近くの京都芸術センターへ行った。閉館間際で、充分には見られなかった。

一夜明けて日曜日。私と息子は高槻の病院へ。診察と検査を終えて、国立国際美術館に向かう。先に見ていた夫に息子を渡して、「抽象世界」を鑑賞。個々の作品については、見られて良かったし細部からの発見は大いにあった。アメリカ抽象表現主義以降の反マッチョな抽象絵画をある程度まとまった数で見る機会は貴重だと思う。ただ、結局どの作品を持って来られるかで、展覧会を組む以外にない、、、という諦めの空気が、、難しい。その方法の正解はひとつではないだろうけど、今回のこれをどう受け止めれば良いのか。根の深い問題の一端を見た気もした。

新幹線の時間が迫り、常設のジャコメッティはほとんど見られず、残念。となりの科学館に居た夫と息子と合流して、新大阪から横浜へ。

息子はなんだかとても楽しかった様子。また京都に泊まりたいと言っていた。

 

楽しかった旅を振り返っていたら、また悲しすぎる事件の報が入る。

転がる

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草の上で、転がる息子。

いよいよ、土と汗と虫と、、、真っ黒になりながら遊び続ける季節到来。

幼稚園最後の夏だね。明日と明後日は海へ。気をつけて。