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michi suwa

テント

晴。

春らしい暖かさ。

夫が休みを取ってくれ、久しぶりに3人で出かけた。

息子がこれから通う幼稚園は、晴れても雨でも雪でも基本的に野外で活動する。そのため、雨具は本格的なものを用意する必要がある。今日はその雨具を買いにアウトドア用品の店に出かけた。息子は店内に展示されていたキャンプ用具に興味を持った様子だった。家に帰ってから、土間にポップアップ式の簡易テントを広げてやると、喜んで中に入って、なかなか出て来なかった。風呂から出てからパジャマを着るのもテントの中だった。

今日も息子はよく歩いた。随分と体力がついてきた。話すこともよく理解しているなと感心することが最近特に多い。希望を通すために色々と交渉をしてくる姿が可笑しい。

 

体調のこと。

手の強い強張りは昼すぎにはひいたが、足首と足裏が夜まで痛んだ。足首から先が固まって不自然な歩き方に。

森林公園

晴。

今朝も手足の強張りは変わらず。

朝食と3人分のお弁当を作って、支度をしながら夫を見送る。

私と息子は10時前に自転車で家を出た。今日は根岸森林公園へ。今の家に引越す前はこの公園のすぐそばに住んでいた。戦前の競馬場だった頃の姿を忍ばせる、なだらかな起伏のある広々とした楕円形の公園だ。戦後、この辺りは米軍に接収され、今も公園を分断するように米軍の施設が残っている。公園のすぐ横には軍の住宅用地が尾根づたいに広がっている。米軍住宅はその機能を逗子に移し、根岸は返還が決まっているため、現在は広い芝生の敷地に空き家が点在しているだけだ。

3年前、2月末に産まれた息子を抱いて初めてこの公園に来たのは、その年のちょうど今頃、桜が咲き出した頃だった。まだ簡単にこわれてしまいそうな赤い小さな息子を肌寒さの残る公園に連れて来たことに後ろめたさを感じながら、ここを歩いた。夫が息子を桜を見上げられる芝生の上にそっと置いた。眩しかったのか、息子はほとんど目を開けなかった。少し大きくなったら、ここを転げまわって遊ぶようになるんだろうねと話して、また息子を抱えて帰った。

それから3年間、この公園で息子は本当によく遊んだ。

今日は区の子育て支援拠点主催のイベントで、地域の子育て支援者と未就園児とその親が集まった。引越してからは徒歩では来られない場所になってしまい、ここで遊ぶ機会は減ってしまった。今年の桜はまだ蕾の中で陽の温もりを感じていたいようだ。久しぶりに来たこの公園で、息子は落ちている枝や葉をひとつひとつ確かめるように歩いていた。

イベント終了後、近くに住む友達の家へ移動し、お弁当を食べ、そのまま夕方まで遊ばせてもらった。

息子、20時就寝。

来客

晴。

少し春らしい日差しが戻ったが、風は冷たい。

今朝はゆっくりで、夫が家を出たのが9時。

洗濯物を干して、掃除と昼食の準備をして外へ。友達親子が2組遊びに来てくれることになっていたので、車の通りまで迎えに出た。

友達と遊ぶこともしばらくぶりなうえ、自宅に来てもらえたことが嬉しくて仕方ないらしく、もの凄いはしゃぎようの息子。

オモチャをとったりとられたり、遊びを邪魔したり邪魔されたり。みんな順調に世界の中心を生きてる。3歳になって会話も成り立ち、口げんかも増えた。言い負かすということはまだないので、どちらかが泣いて終わる。

昼食を食べ、お茶とおやつが済む頃には、子ども達は部屋で遊ぶのに飽きて外に出たがる。

近くの公園で遊ばせて、3時半頃に解散。息子はまだ遊ぶと言うので、家の前でしばらくボールを蹴った。

米を炊くのを忘れていたので、夕食はパスタ。好物なので息子は完食。

夕食後、眠たそうにしていたので、急いで風呂に入れて、19:30就寝。

 

朝の手足の強張りで、洗濯布団干しはなかなか苦しい。日中、来客があったことで痛みをあまり気にしなくて済んだが、夜も痛みは消えず、足首足裏が強く痛む。

緑のチューリップ

雨のち晴。

朝、手首が腫れて強く痛む。

本当ならばお弁当を持って公園で遊びに行くはずだったが、雨で中止に。

家の最後の残工事の連絡が入ったので、予定をずらし午前中に来てもらう。

何度も来ている業者で、息子も猫たちも歓迎。作業が終わり、業者が帰るときになると、息子は一緒に行くと言って困らせた。

待っても雨は止みそうにないので、バスでスーパーへ。猫たちの餌と食料品と切り花を買った。いつもならスーパーに行くと必ずカートに乗りたがる息子が、今日は乗らずにカゴを持つと言う。口うるさく急かさないとならないかと憂鬱になったが、息子は意外にもしっかり付いて歩いていた。オモチャをせがむが、本当に欲しいものがあるなら誕生日やクリスマスや特別な時にちゃんと頼もうねと言うと、すぐに諦めた。

帰りのバスまで時間があったので、パン屋で昼食を済ます。

家に帰って買ってきたものを片付けているところで、ケーブルテレビの業者が来た。モデムを交換。

ケーブルテレビの業者が帰るころには雨も止んで陽が出たので、息子と一緒に外に出て、花の手入れと玄関まわりの掃除をした。引っ越す前に息子と植えたチューリップが少しずつ咲きはじめている。赤紫色の花の次に薄いピンク色の花。蕾の色を見て息子は、緑のチューリップが咲くよと言う。その予想が裏切られるたびに驚き喜ぶ姿が可愛い。

夕食、息子は好物の厚揚げの煮物だけ食べて、もういらないと言う。少し怒って見せたが、あきらかに私もおやつを与え過ぎていたので、もううるさく言うまいと思い、明るい声でお風呂に入ろうと声をかけると、すでに息子は眠っていた。

時計を見ると、まだ17時半。夜中に何度かぐずるが、朝まで寝るパターンだ。

たまっている諸々を片付けよう。

家遊び

雨。

夫は今日も仕事。土日両日とも仕事で出られると、仕事とは分かっていても、余計にひとこと言いたくなってしまう。

雨ということもあり、疲れていたので一日中家で過ごすことにした。

息子は最近、あまり車や電車のオモチャで遊ばない。工作のようなことをしている時間が長い。とは言っても集中して何か作るというわけではなく、私に「この紙で○○作って」という具合にひたすらリクエストする。今日はその延長で、地域の保育士さんへ贈るカードを作った。息子が描いた道路に、色紙の車や花を貼り付けてメッセージを書いた。

昼食とおやつをかねて、白玉団子を作った。これまでは生地の感触を嫌って近づかなかった息子も、今日は捏ねたり丸めたりを少しやっていた。ちょっとした変化だが、嬉しい。粉一袋分の白玉を缶詰めのフルーツときな粉で平らげた。

夕方の大相撲の中継をテレビで見ながら、アイスの箱を使って紙相撲を作った。これは相当気に入った様子。

風呂にゆっくり入って、20時半には寝た。

 

トイレトレーニングはほぼ完了しているが、最近は足がクネクネ落ち着かなくなるまでオシッコを我慢してしまう。そこまで我慢できるようになったと成長を感じる反面、あまりにあからさまなので無視もできず、トイレに行くよう何度も促すことになり、その度ごとに声を荒げてしまう。今日も二度、雷を落としてしまった。

相手もなかなか強情なので、すぐにどうこうなることではないだろう。

 

家遊びも消耗するが、身体は少し休まった。

自由が丘

晴。

手首、足首の局所的な痛み。今日は足首が特に痛む。

夫を見送って、家事を片付けながらゆっくり身じたくをして時計を見ると、既に12時になっていた。

家を出て、息子と自由が丘へ。週末の東横線は若い女性の客でもの凄い混雑ぶり。昼食は息子のリクエストでハンバーグ。一人前をごはん大盛りにしてもらい、2人で分けて食べた。私が嫌いな玉ねぎを息子はよく食べる。

ギャラリー21yo-jと昔の同僚の個展へ。どちらの場所も息子を連れて行っても、ある程度は受け入れてもらえる場所だ。息子はそれぞれの場所で飴とビスケットをもらった。

自由が丘は、九品仏緑道以外の道はほとんど歩道がない。手を引かれずに歩ける緑道を、息子はゆっくり楽しんで歩いていた。途中、息子より少し背の高い女の子が近づいてきて、息子と遊びたそうに笑顔で顔を覗き込んだり、息子と同じことを隣でやって見せたりした。女の子の父親と思われる男の人が女の子の手を引いて行ってしまうまでの数分間、息子と女の子の間で会話はなかったが、女の子の笑顔に息子も応えるように、大きな身振りで、時たま大きく笑い声を上げてはしゃいでいた。

帰りの電車で息子は眠った。

引越しを機にベビーカーを引退させたが、心配をよそに息子はよく歩く。今日も最後までしっかり歩いた。寄り道の積み重ねでなんとか目的地に着いている状態だけれど、全てが遊びの時代に生きてる息子にとっては、これが自然なことなのだろう。

明日は雨だ。

金曜日

晴。金曜日。

頭痛は変わらずだが、風邪の症状は治まった。昨日ゆっくり出来たおかげで倦怠感も和らいだ。バタバタと朝食、週一回の皮下注射を打って、痛み止めとステロイドをのみ、支度を済ませ、夫に見送られて息子と家を出た。

金曜日は息子を一時保育へ預けている。一時保育を利用するようになって、まる一年が経とうとしている。幸い息子は保育園で過ごす金曜日を楽しんでいる様子だ。行きたくないと言ったり、泣いたりは最初の数回と引っ越しの直後だけだった。保育園で過ごす金曜日も今日を含めてあと2回。4月からは幼稚園での生活が始まる。

息子と別れた後、展示を見に行くため電車に乗ったが、メールを何件か返しているうちに見事に乗り過ごしてしまい、1時間ちょっとで着くはずが2時間かかってしまった。

金曜日を展示を見ることに使うのはいつぶりだろう。少なくとも今年に入ってからは初めてだ。年末からは、引っ越しに伴う作業と通院とで貴重な金曜日は使い果たされてきた。

 

目白のTALION GALLERYで髙柳恵里 “事実” を見た。

迷いの糸を張り詰めた、刺されるような緊張感を、髙柳さんの作品からはいつも感じていた。しかし今回は少し違う印象で、時間を感じる隙間がある。迷いの先で、ものの場所が決まり、やがて第三者の目に触れ、作者がその場所を去った後もあり続けているうち、会期が進むにつれ、ギャラリーのスタッフは段々と慣れてくる。意識されていたことの鮮明さが薄れる。初めて訪れる人の目に触れるとその鮮明さは回復するだろうか。私はここに訪れるのは一度きりだろうが、私が目撃しているのはどの段階なのだろう。黒いチョッキ、泥やコップに入った水、木片、糸などが比較的可変的で周囲の影響をうけやすいものだからか。ギャラリーの床のコンクリートなど、場所の持つ特性との親和性も関係しているだろうか。あるいは、これはもう見ている私の経験値に委ねられている部分なのかもしれない。違和感、緊張感、髙柳さんの作品を見ることで得られるこういった感覚は、見る側にもかなりの部分を任されているのは確かだろう。

カタログに寄せられた沢山遼さんのテキストに写真の残酷さと髙柳さんの作品の残酷さの類似性が指摘されていて、確かにその通りだと頷くのだけれど、それもどちらかと言えば今回の展示を見る前までの方が当てはまる。写真はその先の時間を奪ったうえで、映り込む事実を予測を超えて突きつける。「不意打ち」。意識の風化を拒絶する強烈な「不意打ち」。その鋭さとは少し違う佇まいが今回の作品にはあったように思う。作品集を見ていると、比較的初期は「不意打ち」が意識的に作られていたのが、段々と「不意打ち」との関係がストイックになって、「不意打ち」待ちの時間も作品が内包し始め、見る側の持つ時間と経験にも問いかけ始めたのかもしれない、そんな風にも感じた。

髙柳さんの言葉の中で「私にとって」という表現が多く用いられるのは、そういう「不意打ち」との関係の変遷があったからなのではないかと、勝手に想像した。

 

生意気にも長々と展示の感想などを書いてしまったが、ようやく訪れた展示を見るチャンスにちょうどこの展示に当たったことは、ラッキーとしか言いようがない。